柴田 章吾(明大)|ドラフト・レポート

柴田 章吾(明大)

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柴田 章吾(明大)

175cm70kg 左左 MAX145km スライダー・シュート・カーブ 愛工大名電
最速145㌔の切れの良い直球とスライダー。実績少ないが巨人との交流戦で3回無失点好投。
2011年巨人育成3位
最終更新日:2011-10-20 (Thu)|2011年ドラフト指名選手 東京六大学 コメント(1)

  投球成績

     試合  勝敗 回数 被安 奪三 四死 自責 防御率 
   08春: 5 0勝0敗 3.2  2  5  2  0  0.00
   08秋:        登板無し
   09春: 1 0勝0敗  3  4  4  2  2  6.00
   09秋:        登板無し
   10春:        登板無し
   10秋: 2 0勝0敗 1.1  0  2  2  0  0.00
   11春: 1 0勝0敗  0  0  0  2  0  0.00
   11秋: 4 0勝0敗 1.2  3  0  2  2 10.80
   通算: 13 0勝0敗 9.2  9  11  10  4  3.72
        被安打率8.38 奪三振率10.24 四死球率9.31 

 【 全国大会 】
     試合 回数 被安 奪三 四死 自責 
   11神: 1   1  1  1  0  0 132㌔(神宮) 福山大

 ■ 甲子園成績

     試合 回数 被安 奪三 四死 自責
   07夏: 1   4  1  6  2  0 創価 142㌔

  最新記事

 ■ 名電・柴田章、病魔と向き合い胴上げ投手(日刊スポーツ) 07/8/1

 高校野球愛知大会決勝は、愛工大名電が中京大中京を7-5で下し、3年連続9度目となる夏の甲子園出場を決めた。36年ぶり愛知大会3連覇の原動力は、背番号10の左腕柴田章吾。国の難病(特定疾患)に指定されているベーチェット病を患うが、好リリーフで、胴上げ投手になった。中京大中京という難敵に勝ち、病魔にも打ち勝ち、その左腕で甲子園切符をつかんだ。5-3と逆転に成功した5回裏に3番手で登板した。すぐに同点2ランを浴びたが、6回以降4イニングは内野安打1本に封じる快投。送りバントを2度、好フィールディングで阻止。9回には右前打で出塁し、決勝点となるホームを踏んだ。投げて守って打った。入学直後に倉野光生監督(48)がその潜在能力を「野球センスはイチローや工藤レベル。もう別格」と表現した通りの活躍。柴田章なしに、名電3連覇はなかった。「なんでこの病気になったんだ…」。何度も自分の体をのろった。発病は中学3年の時。それまで病気らしい病気をしたこともなかっただけに、信じられなかった。信じたくなかったから、当初は処方された薬も飲まず病状が悪化したこともあった。医師からは強豪校に進んで野球をするのは無理だとも告げられた。全国レベルの強豪10校以上が入学を勧めてきたが、体調不良を理由にいつの間にか話もなくなった。現実を受け入れざるを得なかった。だが、どうしても甲子園に行きたかった。「ちゃんと考えてくれたのは名電だけだった」。病気も含め親身になって受け止め、ともに甲子園を目指そうと言ってくれた倉野監督率いる名電にすべてを預けた。入学以来、医師と相談し、食事制限に加え、体調を考慮し練習量も微調整しなければならない日々が続いた。「練習やったら強くなるのに、やっちゃいけない。うまくなるのには苦しいことをしなきゃいけないのに…」。ジレンマにも悩み抜いた苦しい日々だった。さまざまな思いは、1つの目標を打ち立てて吹っ切った。全国に約1万8000人いるという同じ病気に苦しむ人に目を向けた時だった。「甲子園で投げて、全国でこの病気に苦しんでいる人を勇気付けたい」。追い込んで、やり遂げた18歳の表情は晴れやかだった。聖地での1球1球は、すべてがメッセージ付きだ。重い重い1球が名電に、いや全国に勇気と力を与えることになる。それができるのは、柴田章しかいない。

   11秋 回数 被安 奪三 四死 自責
   早大   1  1  0  1  1
       0.1  0  0  0  0 
   法大  0.1  1  0  0  0
   東大   0  1  0  1  1 
       1.2  3  0  2  2 防10.80
   被安打率16.20 奪三振率0.00 四死球率10.80

  プロフィール

 三重県いなべ市生まれ。
 柴田 章吾(しばた しょうご)投手。
 小学2年から野球を始める。
 6年時に四日市トップエースで全国大会優勝。
 大安中時代は同チーム中学部で2年・3年時に全国大会4強入り、
 3年春には全日本代表に選出されたがベーチェット病を患い辞退となった。

 愛工大名電進学後1年夏・2年夏に出場した甲子園はベンチ外。
 治療法不明の難病を抱え納得のいく練習が出来ず苦しんだが徐々に症状が回復し
 3年夏は控え投手ながら3試合9.1回を11奪三振4失点に抑え甲子園出場に貢献した。
 決勝中京大中京戦には3番手で起用され5回2失点の好救援で胴上げ投手。
 甲子園では初戦5回裏からマウンドに上がり創価高相手に4回1安打6奪三振無失点の好投、
 打っては左越えのタイムリー三塁打を記録している(1対3で敗退)。

 明大では1年春からリーグ戦に出場。
 救援で5試合に起用され好スタートを切ったがその後は制球力の課題もあり登板機会が減少。
 4年秋も中継ぎで4試合1回2/3の登板にとどまったが
 8月に行われた韓国遠征では先発で5回無失点、
 巨人2軍との交流戦には救援で起用され3回を完全投球と好投を見せた。
 リーグ通算13試合、0勝0敗、9回2/3、11奪三振、防御率3.72。

 175cm70kg、スリークォーター左腕。
 ノーワインドアップから上体を前に傾けインステップ気味に踏み込みヒジを使った腕の振りから
 繰り出す最速145㌔の切れの良い直球が武器。
 右打者の膝元へのスライダーを織り交ぜる。持ち球はその他シュート、カーブ。
 イップスを経験するなどバラツキが大きいコントロールに課題があったが
 腕の位置を下げたことで改善されつつある。
 高校時代監督からはイチロー、工藤クラスと評された野球センスの持ち主。
 難病と付き合いながらプロでの活躍を目指す。
 遠投105m、50m6秒5。

  スカウトコメント

プロスカウト|11/10/19
 「ワンポイントでなら面白いかもしれない」

 ※ 無断転載および改変は固くお断り致します。
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最終更新日:2011-10-20 (Thu)|2011年ドラフト指名選手 | 東京六大学 コメント(1) Page Top↑
 Comments
この記事へのコメント
本当に何回も失明しかけました(涙)本当に辛かったのは、私より両親が苦しんでいた事でした(涙)良かったら話して下さい(涙)私は10年経ってステロイド剤も0にして今夢だったママになりました☆本当にうつ病にもなったり辛かったけど・・・今生きていて良かったって考えています☆親孝行これからして下さい(涙)
| 野木美香 | 2011年11月02日(Wed) 08:42 | URL #8iCN.D9s [ 編集]
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